Does faceted display in a library catalog increase use of subject headings? (OPACのファセットブラウジングで件名の利用が増える?)

いわゆる「次世代OPAC」で実装されたファセットブラウジング機能は,キーワード検索の結果に含まれるレコードのメタデータを解析して,著者・資料種別・言語などのサブセット毎に集計して表示することで,ユーザが必要な資料を発見するサポートをする仕組みです。

なかでも件名は,カタロガーがその資料の主題を分析して付与する統制語で,図書館の書誌レコードをリッチにしているメタデータのひとつです。日本では書誌レコードに件名が付与されているレコードが少ないのでファセットの効果が最大限に発揮できないという話をよく耳にしますが,「ファセットブラウジングで件名はあまり使われない?」という刺激的な論文が…。ちょっと気になったので自分用にメモ。要約してみましたが変なところがあると思いますので原文を読んでください。

 

Kathleen Bauer, Alice Peterson-Hart, (2012) "Does faceted display in a library catalog increase use of subject headings?", Library Hi Tech, Vol. 30 Iss: 2, pp.347 - 358.

DOI (Permanent URL): 10.1108/07378831211240003

問題意識

ユーザテストとログファイルの分析から,ユーザの検索行動を調査

  • 件名のファセットはどれくらい使用されているか?
  • ファセットをうまく使いこなすには何が重要?
  • ファセットの導入によって,従来のインタフェースに比べて件名の利用が増えているか?

背景

  • Yale University は Yale College (学部) と5つの研究科から構成
  • Yale University Library で検索可能な書誌レコードは800万件
  • 2007年12月から2008年3月に Orbis (従来のOPAC)の調査を実施。3777件のアクセスのうち,タイトル検索が全体の41.8%,ノーヒットが21.4%,件名の使用は10.0%のみ
  • その後 Google ライクな検索インタフェース ”Yufind” (Vufind) を導入するが旧来の "Orbis" へのニーズが高く,2010年1月からは両方を併用

ユーザテスト

  • 2008年4月と2009年10月にユーザテストを実施。
  • 学部生5人を対象に調査。Morae software を使って記録して分析
  • 2008年の調査ではファセットを使わせる課題を与えたが,80%の学生がファセットの項目が長すぎて戸惑ったり,無関係な件名を選択して検索に失敗。ただファセット自体の仕組みには関心あり
  • 調査の後,ファセット表示位置を画面の左側に変更,ファセットをカテゴライズして見出しをつけて orginal search に関連の深いものが表示されるように改修
  • 2009年の調査ではファセットの利用率が向上し,ファセットに関連する課題のうち1問は5人全員が,もう1問は3人がファセットを使用して解答に辿りついた
  • 調査に参加した学生からは Amazon や “Barnes and Noble online” といったサイトと似ていて使いやすいとか, Orbis にファセット機能があればもっと使うというコメントが

ログファイル分析

  • 2011年1月から5月にかけて Orbis と Yufind のログを調査
  • Yufind は 271,532 件のアクセスがあり,ページビューは 480,311件。キーワード検索が24.1%に対して,書誌詳細画面の表示が66.3%
  • Orbis は Yufind の2.3倍の 632,445件のアクセスがあったが,検索回数は Yufind の8.3 倍
  • Yufind は Google に書誌レコードのクローリングを許可しているため,Google 経由で直接 Yufind の書誌詳細画面にアクセスするユーザが多い

Yufind 導入後のユーザの検索行動

  • 調査期間中,全体の34.8%が書誌詳細画面で著者名典拠や件名のリンクをクリック,27.7%が2回目の検索を実行,25.4%がファセットを使用
  • 件名の使用で最も一般的だったのは書誌詳細画面からの件名リンクで全体の23.5%
  • Yufind のファセットは 著者名・分類・件名・言語・資料種別で,最も使用されたのは資料種別で31%,言語27.8%,件名20.1%,著者名14.1%,分類7%と続く
  • 言語は“English”,資料種別は “books/pamphlets” や“online”がよく使われていた
  • 件名はユーザによって様々だが,“united states” だけは突出して使われていた
  • 全体のなかで,ファセットの件名が選択された割合は5.1%で,書誌詳細画面の件名リンクとあわせても全体の28.6%
  • Orbis では件名が指定されて検索されたり,書誌詳細画面の件名リンクがクリックされた数は全体の6.4%

結論

  • Yufind は図書館Webサイトのトップで提供しているにもかかわらず,Orbis に比べて利用が少ない
  • Orbis と Yufind とのトラフィックの違いは Yufind で Orbis でできなかったファセットブラウジングができるようになったことよりもむしろ,Googleからのアクセスが可能かどうかに起因している
  • ユーザはまず Google で情報検索行動を開始するとよく言われるが,この調査でGoogle 経由の書誌レコードへのアクセスをみても,図書館も例外ではない。図書館の書誌レコードを Goolgle へ提供することは重要である
  • Yufind での件名の利用は検索行動全体の28.6%で,Orbisの6.4%よりも多くなっているが,ほどんどはファセットブラウジング以外での利用
  • 図書館が検索過程において件名の利用を増やすための手段としてファセットブラウジングは最も良い方法であるとはいえない

感想

まずはじめに驚いたのが, Yufind と Orbis を併存していて未だに Orbis の方を利用するユーザが多いという事実。日本でも某大学は併用していますが,ユーザが旧来の Orbis を使い続けたい理由とは何なのか気になりました。

さて,本題の件名の件ですが,確かに統計上はファセットブラウジングの導入によって件名の利用が増えたとはいえないというのはわかります。

ただ,Yufind ではファセットの項目のなかで件名は一番下に配置されているので,そこがひっかかりました。Summon のアイトラッキングを計測した報告書で検索結果のはじめの3件程度しか見ないユーザが多いらしいので,統計で利用が少ないのに一番上部に表示している Author にかえて Topic を配置してみるとかすると統計もかわってくるのかもしれませんね。

日本でもOPACの検索結果画面でファセットを表示するところも増えてきましたが,どういう項目をどの順序で配置するかはユーザの検索行動を左右するわりと重要な判断かもしれないと改めて思いました。

件名の利用を促進するための機能としてファセットブラウジングが有効かどうかは別にして,ファセット自体は全体の1/4程度のユーザが利用しているという統計をみて少し安心しました。

でもこの論文で一番気になったのは,結論に書かれていた一文。これはまたの機会に。

Putting library records in Google should be a priority.

板木を意識して板本を観る-付・板木デジタルアーカイブの紹介(板本・板木をめぐる研究集会) Part5

板本・板木をめぐる研究集会」2日目の午後1コマ目(プログラムでは午前中の3コマ目だったのですが時間がおしていたために午後になりました)は板木デジタルアーカイブの話。とはいえデジタル化の話だけでなく,初日の永井先生のご講演に続いて板木から何がわかるかについて具体的な事例をあげて紹介してくださいました。個人的には一丁だけでなく複数丁の板本の匡郭高から板木の形態を推測するところが興味深かったです。この推測方法は板本比較で板木が現存しない場合でも使用できそうですね。

講演資料にある英数字の記号を「板木閲覧システム」や「書籍閲覧システム」で検索すると板木や板本のデジタル画像を見ることができます。板木閲覧システムと書籍閲覧システムのさらなる連携が検討されているということでしたが,Googleマップで地図と航空写真を簡単に切替られるように,板木の鏡像表示の画面で対応する板本の部分が表示できたらおもしろいのではないかと思いました。


演題:「板木を意識して板本を観る―付・板木デジタルアーカイブの紹介」(板木・板本をめぐる研究集会)
講師: 金子貴昭氏 (立命館大学GCOE・PD)
日時: 2012年2月5日(日)
場所: 立命館大学アート・リサーチセンター 多目的ルーム
立命館大学グローバルCOEプログラム 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点

  • 板木は四丁張で左右の天地が逆になっていて反り止めがつくといった形式のものが多い
  • 二丁張: 文政13年(1830)刊『出雲物語』(奈良大学所蔵,N0003)
  • 四丁張: 明和9年(1772)刊『怡顔斎蘭品』(奈良大学所蔵,T0587)
  • 六丁張: 貞享3年(1686)刊『東見記』(奈良大学所蔵,T0003)
  • 八丁張: 万治3年(1660)刊『弘安礼節』(奈良大学所蔵,T1115)
  • 十丁張は見たことがない
  • 横本六丁張: 嘉永4年(1851)刊『煎茶要覧』(藤井文政堂所蔵,F0001)
  • 1枚の紙で1度に三丁分刷ってしまいあとで紙を三つ切りにする

入木

  • 入木は内容を訂正するために使われると一般的に理解されている
  • 宝永元年(1704)刊『呂氏家塾読詩記』巻二十二(一オ)の板本(立命館ARC所蔵 arcBK01-0033)を確認すると匡郭の一部と巻数が入木になっている。訂正するだけならば巻数部分だけでよいはずで,匡郭の訂正は必要ない。しかし板木(奈良大学所蔵T2384表,鏡像)を確認すると木の節があり彫りにくかったために入木をしたのではないだろうか。入木は内容の訂正だけでなく木材とうまく向き合っていくためにもおこなわれたのでは?

紙質の混在

  • 1点の板本で紙質が整っていない場合がある。
  • 弘化2年(1845)刊『和歌麓之塵』の近代摺(立命館ARC所蔵, arcBK03-0091)では四種類の紙が混じっている。紙質のばらつきを比較すると四丁ごとに紙質が異なっている。板木(奈良大学所蔵,N0151)を確認すると四丁張だった。

匡郭の寸法

  • 匡郭はその寸法による板の同定,収縮の度合いによる原刻と覆刻,初摺りと後摺りの比較判定につかわれている。
  • 『酔古堂剣掃』(立命館ARC所蔵,arcBK03-0066)や『太平遺響』(立命館ARC所蔵,arcBK03-0068)の板本の板心側を確認すると,匡郭の地側のラインは揃えられているが天側のラインが揃っていない。とはいえ全くバラバラではなくある程度のまとまりをもってバラツキが生じている
  • 初版の状態の板木が残っている四丁張の『手印図』(立命館ARC所蔵, arcBK02-0085)と六丁張の『夢合早占大成』(立命館ARC所蔵, arcBK04-0076)を調査したところ,板木の構造に従って四丁ごと,六丁ごとに匡郭高が変化している。
  • 板本の匡郭高を調べることでその板本が何丁張の板木で摺られたのかわかるのではないか。
  • 板下の匡郭を摺るための板木では匡郭高は一定しているので,はじめから板木の匡郭の寸法がバラバラでつくられたということは考えにくい。ではなぜ板木ごとにバラツキがでてしまうのか?
  • 板木は左右(繊維)方向には収縮率が小さいが,天地(接線)方向には大きいのでバラツキがでてしまう。
  • 摺られた板本の匡郭高から板木を推測することも可能。

板木の書誌学

  • 板木から得られる情報を蓄積することによって板木書誌学を構築し,板木書誌学から板本書誌学への批判・還元をおこない,板本書誌学をより強固なものにすることで近世文芸研究や出版研究に還元できるのではないか。

扱いづらい板木の性質

  • 黒い,長い,重たい,汚れるという板木の性質
  • 鏡蔵しないと判読が困難
  • 「板木は現存しない」という認識→質量ともに揃っている板木もある

板木デジタルアーカイブ

  • デジタル化することにより板木を活用できるように「板木閲覧システム」を構築
  • 4方向からライトをあてて板木を立体的にみえるように撮影
  • 鏡像でも正像でも表示が可能
  • 板木1枚ごとにメタデータを作成
  • 検索結果からは板木1枚と作品全体の両方の閲覧が可能
  • 板木で摺られた板本の一部は「書籍閲覧システム」で閲覧可能。今後さらなる連携を検討。
  • 現在はほぼ奈良大学の所蔵の板木のみだが,今後拡大を予定。

板木デジタルアーカイブ,展示記録

板木から見る和本研究の重要性(板本・板木をめぐる研究集会) Part4

午前中のもう一つの講演は誠心堂書店橋口侯之介氏による「板木から見る和本研究の重要性」。橋口氏の『和本入門』『江戸の本屋と本づくり 続 和本入門』『和本への招待 日本人と書物の歴史』といった著作は存じ上げていたのですが,成蹊大学で講義も担当されているということを初めて知りました。なんとその講義資料もWebで公開されています!これは勉強せねばなりません。

直接橋口さんからお話をうかがうのは初めてだったのにもかかわらずどこかでお会いしたような錯覚がしたので,調べてみると『DOCUMENTARY 和本 -WAHON-』というDVDに登場されていらっしゃいました。このDVDでは橋口さんを含め和本を扱う書店の店主が数多く出演されています。和本の魅力や和本にまつわるエピソードなどが生き生きと語られていて,こういうDVDを見ると映像資料の凄さというものを実感します。板木バージョンも是非作成してほしいところです。

さて,ご講演の内容は藤井文政堂板木文書を用いて刊記からだけではわからない同時の相合板の実情にせまるもので板木から和本を知るという具体的な事例紹介で興味深かったです。

それにしても橋口さんが最後にふれられた「日本語の歴史的典籍のデータベースの構築」はものすごい構想ですね。ただ別の記事では「現在はペンディング状態」とかかれているので実現するかどうかはまだまだわかりませんけれど...。


演題:「板木から見る和本研究の重要性」(板木・板本をめぐる研究集会)
講師: 橋口侯之介氏 (誠心堂書店)
日時: 2012年2月5日(日)
場所: 立命館大学アート・リサーチセンター 多目的ルーム
立命館大学グローバルCOEプログラム 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点

  • 和本を市場で購入して調べて値段をつけて目録をだすという仕事が中心
  • 和本は値段をつけるということが難しい。高値をつけすぎると不良在庫になることもある
  • 板木も変に有名な本の一節だとかなり高価。一方ありふれた本の板木だと値がつかない。
  • 和本は軽くて小さいが板木は嵩張り扱いにくい。
  • 普通の本の普通の板木がおもしろい。
  • 河内屋喜兵衛が江戸後期に膨大な板木を収集していた。大阪の本屋は江戸や京都の板木を収集し出版していた。河内屋の膨大な板木は明治17年ごろに板木市場にだされ売り捌かれるまで3日間かかったという。市場で3日かけるというのは異例なこと。現在は柳原書店として活動。
  • 江戸の浅倉屋(現在13代目)も明治初期にかなりの板木を収集していたが関東大震災で焼失。焼け残った文書類も東京大空襲で焼けたらしい。
  • 大阪や江戸に比べると京都は板木が残っている。
  • いまでも世に出てくる板木は個人所有の私家版が多い。

板木由来の江戸時代出版用語1

  • 刻,彫,鐫,上木
  • 梓,上梓,梓刊,繡梓
  • 板木=版木,出板=出版,板本=版本 江戸時代では同じ音だと自由に使い分けをしていた
  • 活字は活版,活刷,活字排印,聚珍版など

板を使った出版用語2

  • 板行,開板,元板,板元,類板,重板,再板,蔵板,絶板,白板,板株,丸板,相合板,板賃,焼板,留板,求板
  • 重板と再板とはまったく意味が異なる。再板は合法的な再刻だが重板は海賊版をつくること

古活字版から整版へ移行する意義

  • 1620年代から活字版は衰退し整版へ
  • 退化ではなく新しい時代にはいったと考えるべき。活字印刷がはいったことで整版の良さを再認識し,大量出版,商業出版化
  • 古活字版では訓点や振り仮名はあとから手書きするが,整版では普及のため訓点や振り仮名を最初から印刷しておくことができる。連綿によるかな書きや挿絵も表現可能。
  • 活字は一定程度摺るとばらすので増刷をする際には活字の組み直し・校正をする必要がある。生産性が低下する
  • 整版だと3000部程度刷ることができる。板木さえ所有していれば増刷が可能
  • 出版部数の拡大→商業出版の基礎
  • 売買できる板株の登場。整版が主流になると活字の場合は安い初期投資ですむが整版の場合はかなりの投資が必要。板木を株にすることで株の分轄や担保にしてお金をかりることも可能に。
  • 初期投資を複数の書店で負担して出版する相合版では売上に応じて配当(板賃)が配分される。

事例: 本居本/藤井文政堂板木文書から

(藤井文政堂板木文書と本居本10点の刊記から相合板の実態を解説。詳細は省略)

  • 板木を所持していて板賃の配当が決められているということが相合板の必要十分条件
  • 刊記に複数の書店の名前があっても相合板かは十分に調査が必要
  • 書店の店舗の住所の変遷の記録がわかれば実際の印年がわかる場合もある

割印帳・添章の実例

(京都書林仲間の「他国版売出添章証文帳」に記帳された『文章規範纂評』の割印とぴったり一致する添章が藤井文政堂文書にも存在した事例の紹介。詳細は省略。)

刊記データベースの必要性

  • 長澤規矩也和刻本漢籍分類目録』(汲古書院,1976)
  • 岡政彦等編『江戸時代初期出版年表』(勉誠出版,2011)
  • 山本登朗『伊勢物語版本集成』(竹林舎,2011)
  • 日下幸雄編『中野本・宣長本刊記集成』(龍谷大学,2003)
  • 以前から『近世活字版目録』『蔦重出版書目』『松会版書目』などもあるがまだ書籍の段階で,DBにはなっていない。これらをまとめて共通したDBとして公開してほしい。
  • 単に刊記の文字データだけでなく画像つきで公開を希望
  • 文科省の大型プロジェクトとして「日本語の歴史的典籍のデータベースの構築」という構想がある

和本リテラシー(板本・板木をめぐる研究集会) Part3

板本・板木をめぐる研究集会」2日目のテーマは「和本エンタテインメント-和本の魅力を再検討する-」。午前中は中野三敏先生と橋口侯之介先生のご講演という豪華すぎる講師陣。

今回の中野先生のお話は「和本リテラシー」がなぜ必要なのかという点が中心でしたが,和本とは何かを知りたい方には2011年10月に出版された『和本のすすめ―江戸を読み解くために』がお薦めです。

もう時宜を逃した感のある私でも「和本リテラシー」を身につけたくなるような気分になりました。


演題:「和本リテラシー」(板木・板本をめぐる研究集会)
講師: 中野三敏氏 (九州大学名誉教授)
日時: 2012年2月5日(日)
場所: 立命館大学アート・リサーチセンター 多目的ルーム
立命館大学グローバルCOEプログラム 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点

  • 10年近く和本リテラシーの話ばかりしているが,同業者以外の人から「まことにその通りだ」という声をあげる人がいない。それはなぜか?
  • 配布資料1は樋口一葉の手紙と日記で明治時代に出版されたもの。読みがついているがその読みをつけたのは樋口一葉の研究者ではなく中野先生の同業者の先生とのこと。
  • 配布資料2は同業者の間で有名な三村竹清さんの奥様の日記。明治43年からつけられている三村竹清日記は翻刻作業中がすすめられているが,奥さんの日記はそれよりもはやく明治34年から。日常生活の様子がよくわかる史料だがくずし字でかかれているので読めない人も多いのでは?
  • 和本リテラシーという用語もあまりいい用語ではないかと思うが若い方にはわかりやすいのではないかと思って造語として使用している。
  • 物事の理解には時間軸と空間軸のバランスが大事。近頃は外国語の習得に対しては熱心。外国語は空間軸を広げるということでは重要なこと。その一方で時間軸をさかのぼることも重要。
  • 明治33年(1900年)が分岐点。明治33年に改正された小学校令(小学校令改正を受けた小学校施行規則)でひらがなを一音一字に限定。日本人の9割までが尋常小学校までで4年間しか教育を受けていなかったがこれによって日本人の識字率は向上した。しかし,その一方で現代では明治33年より前に書かれた文章が読めなくなった。
  • 明治33年より前にだされた草書体や変体仮名でかかれた文章はどれくらいあるか?
  • 国書総目録で公称50万点。ただし国書総目録は各大学図書館や研究機関に問い合わせをおこない,目録ができているものを収集したもの。九州大学でも総合図書館にない文学部の研究室に存在する和本は国書総目録に収録されなかった。実際は100万点以上あるのではないか?
  • また書物の形になっていない古い旧家の土蔵にいれられていた伊勢参りの旅日記のようなものは対象外。きちんとした本でなければ値段がつかず東京の古書店の床にうずたかく積まれたまま,売れなければ潰されてしまう。そういう記録を読むことで本当の日本人のあり方がわかるのではないか?これらをあわせると200万点ぐらいでは?
  • 明治33年より前の資料で活字になったものはどれぐらいあるか?おそらく1%程度ではないか。『源氏物語』や『奥の細道』など有名なものや文芸書は何度も活字になっているが,活字化されたものは2万点未満ではないか?
  • 200万点のうち2万点ぐらいしか活字化されていないとすれば1%ぐらいしか活用できないことになる。和本リテラシーを回復させて活字化されていない文章も読めるようになるべき。
  • 全部活字化することは無理。活字にするということは翻訳を読んでいるようなもので,清音,濁音,句読点は翻字する人が責任をもってしなければならない。清濁や句読点の位置ひとつでだけでも全く違い,「ためになる」か「だめになる」か。
  • どうして和本リテラシーの必要性をうったえるのは私(中野先生)だけなのだろうか?そもそもいったいどのぐらいの人がくずし字を読めるのか?例えば研究上読まざるを得ない日本近世文学会の会員約1000人が中核ではないか。それ以前の時代だと活字で間に合ってしまうのではないか?歴史学や美術史,社会史の研究者などもあわせて全部で5000人ぐらいしか読めないのでは?
  • 日本人の99.996%は読めない?読めるようになるには教育行政の変革が必要。
  • 日本人の9割9分がわずか1%程度の活字化されたものしか読んでいない
  • 特に若い人に和本リテラシーの必要性をうったえることが重要。小学校でせめて変体仮名の存在だけでも教えてほしい。そうすれば,そのなかの1割ぐらいは大学で自分でくずし字を読む能力をつけようと考えてくれる人がでてくるかもしれない。
  • 教える側にもその能力が必要なので国語教員の資格要件にくずし字がよめるということを盛り込めれば...
  • 浸透するには30年ほどかかるかもしれないが,歴史をやるものにとって30年はあっという間。
  • 時間軸を遡ることによって江戸時代までの日本人と現在の日本人との違いがわかる。その違いがわかるということが重要
  • いまは江戸時代がブーム。近世の洒落本をやっているものが文化功労者になるのは?と思っているが社会の江戸時代の捉え方が変化してきていることのあらわれ
  • ゆがみすぎた近代,急ぎすぎた近代を訂正するとき。これまで否定されてきた江戸時代を見直そうという大きなうねりがでてきたといえる。そのためには江戸時代のものが読めなければ何もできない。
  • 江戸時代と近代との違いを知ることが重要。近代とどこが違うのかという部分を認識しないといけない。そのためには翻訳ではなくて原文を読めるぐらいの和本リテラシーが必要。

板木を語る-板木にまつわる記憶-(板本・板木をめぐる研究集会) Part2

板木・板本をめぐる研究集会」初日の2コマ目は,京都市下京区にある仏教関係の出版社・書店である「法蔵館」の五代目西村七兵衛氏と,「藤井文政堂」の六代目山城屋佐兵衛氏による板木にまつわるご講演でした。

立命館アート・リサーチセンターで開催されていた「現代に伝わる板木展」では法蔵館の板木奈良大学所蔵の藤井文政堂旧蔵の板木の実物をみることができました。小さな展示会場とはいえ,これほどまとまって板木を見るのは宝蔵院を訪問した時以来です(黄檗山宝蔵院では現在でも職人さんが一切経の板木でお経を摺られています)。法蔵館の板木蔵の写真がないかと検索したところ,2010年におこなわれた蔵の調査記事がみつかりました。

展示解説も詳しくておもしろかったのですが,今回さらにご講演で,その板木を用いて実際に板本を出版していた書肆の店主からお話をうかがえるという貴重な機会でした。

奈良大学の永井先生のお話にもありましたが,残念ながら現存している板木はほんの一部とのこと。もしそうなら,オーラルヒストリーというのかどうかわかりませんが,今回の講師のように板木の記憶のある書肆の方のお話を聞きとってアーカイブしておくことは非常に重要なことなのではないかと思います。


演題:「板木を語る-板木にまつわる記憶-」(板木・板本をめぐる研究集会)
講師: 西村七兵衛氏 (株式会社法蔵館)
講師: 山城屋佐兵衛氏 (藤井文政堂)
日時: 2012年2月4日(土) 15:30-17:30
場所: 立命館大学アート・リサーチセンター 多目的ルーム
立命館大学グローバルCOEプログラム 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点

西村七兵衛氏 (株式会社法蔵館)

  • 法蔵館の歩み
  • 法蔵館には現在にも板木蔵がある
  • 摺り師が板木蔵の中で実際に板本を摺っていたのを覚えている
  • 板木蔵は地面より少し下に床があって湿度が高めになっている?
  • 西本願寺の北側にあった本圀寺の蔵に預けていた板木を法隆寺に寄贈したことがあり,平成22年に確認したところ確かに法隆寺で保管していただいていた
  • 小学生時代に板木をわって薪にしていた。当時,蔵の2階部分まであふれかえっていた板木が1階だけで収まるようになるほどかなりの板木を潰した
  • 板木は上質の桜なので火持ちもよく,燃えた残りも炭のかわりに使っていた
  • 重要な板木をわってしまったこともあるが当時はまだ彫師がいてすぐに複製をつくることもできた

山城屋佐兵衛氏 (藤井文政堂)

  • 昭和20年代ぐらいまでは板木を使って摺っていた
  • 現在も版画やお菓子のシールなど木版が使われているが色刷りが多い
  • 当時の本屋が扱っていたのは墨摺り本が原則で,摺り屋も墨刷り専門だった
  • 最後に板を摺った記憶は昭和32年ぐらい
  • 六条若宮東中筋の路地の奥にあった板摺り屋さんに自転車で板木をはこんだ
  • 運ぶ度に体中が真っ黒になるので夏によく運んでいた
  • 家賃が安く,板摺りの道具や紙を置いておくのに場所がいるために突き当りで場所が少し広い路地の一番奥に職人がいるのが京都の定番だった
  • 板摺り屋さんの軒先には文政堂以外の板木も山積みになっていた
  • 玄関をくぐるとものすごい臭いがたちこめていた。奈良でつくられた割れ墨を水に入れた甕に入れて何日もねかすと墨に含まれた膠が腐り,その分離した上澄みを摺りに使っていたが,それが臭いの原因。[参照: 腐れ膠墨(腐れ墨)を作ってみました | 絵具屋三吉 画材通信]
  • 現在も摺っている黄檗山宝蔵院では練り墨を使用しており,臭いも全くせずなめらからしい
  • 何回も摺って板木が摩耗していても墨付けの濃淡を調整することで同じ色で綺麗な仕上がりにすることができると自慢していた。ただその職人曰く,昔はもっとよい職人がいたとのこと。
  • もともとは板摺りさんは自宅で摺ることはなく,店の板木小屋に出向いて依頼された板木を摺っていたらしい。日当ではなく一枚すって何銭かという出来高制で,ごはんの梅干しだけ入ったお弁当を持ってさえいけば,おかずはお店の人が出してくれたらしい
  • 戦前は仏書に関しては木版はかなり摺られていた流通していた。板本は江戸時代で廃れたのではなく明治時代でも需要があった。仏教関係の学校のテキストは和本。もちろん活版におされていたのは事実
  • 決定的に和本が摺られなくなった理由は戦時中の紙の統制。戦後になってから和紙というものがあまりつくられなくなり,値段が高騰していくなかで墨刷りの本に和紙を使う余裕がなくなった。細々と何年に一度ぐらいの頻度では作成されていたかもしれないがほとんどなくなってしまった
  • 明治時代は大量の板本をつくっていた時代では?
  • 明治政府の官報は木版で京都の平楽寺書店が毎日摺っていた
  • 明治政府の便箋や地検のための書類なども初期は木版刷り
  • 学校制度が確立して教科書の需要がでてきたが,初期のものは教科書・副読本も木版
  • 廃仏毀釈後の明治10年以降にも真宗の赤本(布教本)が大量に木版で摺られていた
  • 活字に変わっていったのは明治20年代後半で明治30年頃から急激に木版は衰退。出版社も大手は東京にいってしまった
  • 藤井文政堂では明治40年代には板本を少しはだしていたが,大正2年に開板した本が藤井文政堂では最後の板本
  • 配布資料1: 美濃屋松蔵の広告。名古屋の板摺りさんの所から偶然見つかった板木板の販売広告で珍しい。
  • 配布資料2・3: 出版の許可を得るために二条城西奉行所に提出した願い出本(見本本)。ただし許可したという資料もないし判子もおされていない。いろいろ探してみたが文政堂の資料には許可されたことを示すものがなかった。むかし大阪の中尾松泉堂さんから聞いた話では,船で大阪から出向して枚方で荷を下ろして判子屋で判子を押してもらい京都で許可をもらったことにしたことがったらしいので出版許可の申請はそれほど厳密にされていなかったのかもしれない。
  • 配布資料5: 板木売買文書。当時は出版した本を自分の書店だけは捌けなかったので書林仲間を通して販売してもらう必要があった。また板木を書林仲間で売買することが当然だった。
  • 資料紹介: 板下本。出版するためには板下が必要で板下は残らないのが定説だが,実物の板下がたまたまのこったものもある
  • 配布資料4: 明治15年に八坂神社に献本した証。下京は八坂神社,上京は北野天満宮の御文庫に献本するのが慣わしだった。
  • 配布資料6・7: 天明三年京都増田源兵衛文書「両経仕立売立引工定帳」。お経の出版や板木の売買で増田源兵衛がどれだけ儲けたかがわかる文書
  • 中野三敏氏や橋口侯之介氏の本でもふれられているが「書物はおあずかりものとして次の世代につたえてく」「江戸人の目で江戸を理解しないといけない」というのが重要
  • これまで板木はそういうものからはずれた存在だったが今後の研究に期待している。
  • 板木はほぼ亡くなってしまったが,何もしなければ和本も同じようになってしまうのではないかという危機感がある

質疑応答

Q: 藤井文政堂の板木の流出について教えてほしい
A: 河原町通りが拡張のためにとられてしまい蔵がなくなってしまった。別の場所に急遽新しくた蔵をたてたが入りきらず板木を一時的に別の場所に置いていたが,知らない間にたきもんやはんこやに売られてしまったのか詳細はわからない。板木はその程度のものとしか見られていなかった。出版屋は酒屋とは違って伝統産業ではない。新版ができれば古い板木は無用の長物。再利用できないものは必要になくなってしまえば捨ててしまうのが現状。永井先生が研究されなかったらゼロになってしまっていたかもしれない。

板木は語る-その行方- (板本・板木をめぐる研究集会) Part1

立命館大学アート・リサーチセンターで開催された「板木・板本をめぐる研究集会」に行ってきました。2日間にわたるプログラムの初日のテーマは「板木は語る,板木を語る」です。

最近私のまわりでは和本がちょっとした話題になっているのと「板木」をテーマにした講演を聞くことができるということで出かけてきました。

まず最初は板木研究の第一人者といわれる奈良大学の永井一彰先生のご講演。奈良大学図書館・博物館にこんなにたくさんの板木が所蔵されていたのかということに驚いたのですが,板木を収集する上でのご苦労,板木から見えてくることなどを説明していただき,とても興味深い内容でした。

今後,板本と板木を使った研究がすすめば,今まで板本からだけではわからなかったことが見えてくるかもしれないという可能性を感じました。また,同様に整版印刷が活発に行われていた中国では板木の研究はどれくらいすすんでいるのか気になるところでもあります。


演題:「板木は語る-その行方-」(板木・板本をめぐる研究集会)
講師: 永井一彰 氏(奈良大学教授)
日時: 2012年2月4日(土) 14:05-15:20
場所: 立命館大学アート・リサーチセンター 多目的ルーム
立命館大学グローバルCOEプログラム 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点

1. 板木は語る

1 調査・収集

平成9年頃から板木の調査・収集を開始。

  • 浮世絵復刻版 500枚: 当時はまだバブルの名残があったため高価だった
  • 藤井文政堂旧蔵 500枚: 1000枚の板木のうち予算の関係で内典のものは大谷大学へ(内容のジャンルは板木の研究をおこなう上では重要ではない。現在では後悔しているが当時はそのことがわからなかった)
  • 藤井文政堂現蔵 500枚
  • 竹苞楼旧蔵 2500枚: 板木の調査を依頼され最終的には奈良大学に収蔵されることに
  • 高野版 500枚: 大阪の倉庫に積まれていた板木をひきとる
  • マリア書房旧蔵 600枚: 昭和39年頃のもの

調査のみ

  • 佛光寺現蔵 3500枚: 正確な数字は不明だが実際は4000枚あったかもしれない。なぜ寺にこれほど大量の板木が残っているのかについては後述したい。
  • 西島光正堂 200枚: 京都の判子屋さん。刊記によれば藤井文政堂の流出板木か?

板木を整理するうえでの苦労

  • 板木はきちんと整理した状況で残っているわけではなく,埃や泥をかぶった状態
  • 何の板木か特定するのに非常に苦労
  • 2000枚ぐらいの規模になると分類して整理するのに体育館ぐらいの場所が必要
  • 整理した後には掃除や燻蒸(カビ対策)が必要で燻蒸場所も確保しなければならない
  • この数年間は過労死の一歩手前で土日もほとんど働いていた

板木は10枚単位では何ももわからない。1000枚単位で見ているといろんなことがわかってくる。近世は「量の時代」。質ではなく量で論じることが重要

2 天下の弧本

  • 印刷物は複数存在していることもあるが,板木はもともと1枚しかない。
  • 永井教授しか見ていない。

→一方的な情報発信になって議論が成り立たない。

立命館大学のアートリ・サーチセンターとの共同研究で板木をデジタル化して公開・共有することで議論がなりたっていくのではないかと考えた。実際,共同研究をおこなうことで自分で見えなかったことが見えるようになったこともある。

3 板木は何を語ってくれるのか

→板木は近世京都の出版現場の生々しいありさまを語ってくれる

(1)傷 「試し切り」の痕
  • 多くの板木を横からみると文字を掘り出していない部分に多くの傷がある
  • これは途中で使っている刀がきれなくなったときに研ぎ直し,その後に試し切りをした痕
  • この部分は印刷してもでてこないので何もしてもいい場所
  • 板木をみてきて一番感動したのがこの傷。職人の息遣いがきこえてくるよう
  • 板本を見ているだけではわからない
(2)丁の収めかた
  • 一般的に四丁張の板木は彫りが左右天地逆になっている
  • これは仕事の段取りと関係しているようだ
  • 「1・4,2・3」や「1・4,2・5」といった跳び丁もある
(3)分割所有
  • 跳び丁は板木の分轄所有に関係
  • 海賊版や抜け駆け防止のために故意に板木をとばして分割する場合も
(4)反り止め

板木の端につけられている反り止めは時代による変遷がある

  • Aタイプ(填め込み打ち付け式): 板木の端を先端にいくほど細くなるように切断して枠をつくるタイプ。彫り込みを入れた反り止めに板木をはめこみ2か所あるいは3ケ所を釘で打つ。春日版の板木にも釘痕がみられる。
  • Bタイプ(スライド式): 板木の端を凸状に彫って出っ張りをつくり,彫り込みをいれた反り止めにスライドしてはめるタイプ。釘はうたない。後から反り止めをはずすことが可能。このスライド式には凸状の出っ張りと反り止めの彫り込みが均等な幅のもある。Bタイプが多い。
  • Cタイプ(打ち付け式): 板木の端に反り止めを釘でうちつけるだけ。幕末に多い。

→反り止めの変遷表を作成すればAタイプからBタイプへじわじわと変遷していることがわかる。Aタイプでは釘で打ち付ければ板木の再利用が難しいので,再利用を考えたBタイプが登場してきたのではないか?

(5)彫り方

古い時代のものは彫りが深く,新しいものは彫りが浅い。再利用と関係?

(6)入木

入木は彫誤りの修正目的のためと言われることが多いが,むしろその目的の方が少ないのではないか?

讃岐国来光寺の僧固浄編『山家集抄』は漢文で送り仮名や返り点が本文中におびただしく登場する。二丁半で533箇所もあるそれらの部分がことごとく入木であった。このことから本文を先に彫って送り仮名などの小さなパーツは後から入木で埋めたのではないか? 参照:『山家集抄』の入木

しかし漢文全部が送り仮名や返り点を入木にしているかというとそうでもないのでケースとしては少ないかもしれない。今後もまだまだ調査が必要。

また「文字をかける」こともあった。例えば「奥のほそ道」という入木があった場合に文字部分を三分割して「の」と「そ」の部分の文字上で刻んでいる。5cmくらいの入木は薄くどうしても反ってくるので刻む必要があるのだがわざわざ文字の上で区切っている。彫師が必ずしも文字が読めたとは限らないので文字上で区切ることであとで間違わずに入木を埋めるためにそうしたのかもしれない。

いずれも板本をみているだけではわからないことが板木をみることで見えてくる。徹底して合理化・効率化がはかられ,商売としての採算性を重視していたことがうかがえる。

よく近世「出版文化」といわれるが板木をみていると「出版産業」というべきではないか?

2. 語らない板木

1 どのくらいの板木を失ってきたのか 試算

  • 店: 明治元年京都書林仲間『名前帳』に記載 163店→160とする
  • 板木: 『万延元年文政堂蔵版目録』約2700枚+その後買い増し→3000枚とする

→160x3,000=48,000枚

  • 竹苞楼明治七年『板木分配帳』約6000枚

→160x6,000=96,000枚

ex. 鉄眼一切経60,000枚 韓国大蔵経 80,000枚

2 どのように失われてきたのか

(1)再利用
  • 板木はもともと削られる宿命
  • 竹苞楼旧蔵分の板木を確認すると少なくとも二度三度削られている
  • 削る前が何の板木だったかわからなくなる
(2)再利用
  • 別の目的で再利用される場合もある
  • 印章の台木として板木が使われた例(西島光正堂)。京都の判子屋さんは昔は板木を鴨川にかついていって洗うのが日課だったらしい。
  • 板木は非常に上質の桜なので木工の材として再利用(藤井文政堂旧蔵流出経緯 宮田正信博士の遺品の本棚に入木痕がある)
(3)燃料(薪)
  • 竹苞楼『蔵板員数』の書き込みによれば,昭和20年3月に戦争のためやむを得ず燃料として潰したという記録がある
  • 法蔵館西村七兵衛会長の体験談「薪用に板木をわっていた」
  • 昭和19年から昭和21年にかけて大量に燃やさられたと推測される
  • 佛光寺の板木には歴代のご住職が編集したものとは別に町版のものだとおもわれる板木が残存しているがこれも薪用だったのではないか?
  • 佛光寺の板木には反り止めが残っていないものが多く,七輪用などにするにはちょうどよい大きさなので燃やしてしまったのではないか?
(4)白蟻損
  • 竹苞楼『板木分配帳』の書き込みによれば,土間に置いてあった板木の白蟻損が甚だしく大正3年8月に焼却したことがかかれている。
  • 藤井文政堂の流出板木も白蟻損があってもう少しで燃やされそうになった
  • 白蟻がはいるようになったのは板木が刷られなくなってだんだん使わなくなった明治以降ではないか?

3. 今後の課題

  • 奈良大学のとある教員によると,寺町の古本屋さんの床下には板木が山積みだったが現在ではなくなってしまった板木が多い。実感としては手をつけるのが10年遅かった。10年前だと今の2倍集まったのではないか?
  • 10年前は板木がでても誰も買う人がいなくて値段がつかなかったが,最近は板木の値段が高騰している。商品・研究史料としての価値が認識されてきた。これによって燃やされてしまうことが少なくなればそれはそれでよいこと
  • ジャンルを問わずかたっぱしから集めることが重要。メジャーどころの作品の板木かどうかにかかわらず一枚でも多くあつめることが重要。奥のほそ道でも往来者でもおなじ板木である。
  • 目録化してデジタルデータとして残す
  • 展示の機会・触る機会を増やすことが大事。重さは触ってみないとわからない。重さがわかるということは摺り職人の労力がわかってくる。触ると手が真っ黒になるがその墨の付き方を体験するというのも重要。