板木は語る-その行方- (板本・板木をめぐる研究集会) Part1

立命館大学アート・リサーチセンターで開催された「板木・板本をめぐる研究集会」に行ってきました。2日間にわたるプログラムの初日のテーマは「板木は語る,板木を語る」です。

最近私のまわりでは和本がちょっとした話題になっているのと「板木」をテーマにした講演を聞くことができるということで出かけてきました。

まず最初は板木研究の第一人者といわれる奈良大学の永井一彰先生のご講演。奈良大学図書館・博物館にこんなにたくさんの板木が所蔵されていたのかということに驚いたのですが,板木を収集する上でのご苦労,板木から見えてくることなどを説明していただき,とても興味深い内容でした。

今後,板本と板木を使った研究がすすめば,今まで板本からだけではわからなかったことが見えてくるかもしれないという可能性を感じました。また,同様に整版印刷が活発に行われていた中国では板木の研究はどれくらいすすんでいるのか気になるところでもあります。


演題:「板木は語る-その行方-」(板木・板本をめぐる研究集会)
講師: 永井一彰 氏(奈良大学教授)
日時: 2012年2月4日(土) 14:05-15:20
場所: 立命館大学アート・リサーチセンター 多目的ルーム
立命館大学グローバルCOEプログラム 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点

1. 板木は語る

1 調査・収集

平成9年頃から板木の調査・収集を開始。

  • 浮世絵復刻版 500枚: 当時はまだバブルの名残があったため高価だった
  • 藤井文政堂旧蔵 500枚: 1000枚の板木のうち予算の関係で内典のものは大谷大学へ(内容のジャンルは板木の研究をおこなう上では重要ではない。現在では後悔しているが当時はそのことがわからなかった)
  • 藤井文政堂現蔵 500枚
  • 竹苞楼旧蔵 2500枚: 板木の調査を依頼され最終的には奈良大学に収蔵されることに
  • 高野版 500枚: 大阪の倉庫に積まれていた板木をひきとる
  • マリア書房旧蔵 600枚: 昭和39年頃のもの

調査のみ

  • 佛光寺現蔵 3500枚: 正確な数字は不明だが実際は4000枚あったかもしれない。なぜ寺にこれほど大量の板木が残っているのかについては後述したい。
  • 西島光正堂 200枚: 京都の判子屋さん。刊記によれば藤井文政堂の流出板木か?

板木を整理するうえでの苦労

  • 板木はきちんと整理した状況で残っているわけではなく,埃や泥をかぶった状態
  • 何の板木か特定するのに非常に苦労
  • 2000枚ぐらいの規模になると分類して整理するのに体育館ぐらいの場所が必要
  • 整理した後には掃除や燻蒸(カビ対策)が必要で燻蒸場所も確保しなければならない
  • この数年間は過労死の一歩手前で土日もほとんど働いていた

板木は10枚単位では何ももわからない。1000枚単位で見ているといろんなことがわかってくる。近世は「量の時代」。質ではなく量で論じることが重要

2 天下の弧本

  • 印刷物は複数存在していることもあるが,板木はもともと1枚しかない。
  • 永井教授しか見ていない。

→一方的な情報発信になって議論が成り立たない。

立命館大学のアートリ・サーチセンターとの共同研究で板木をデジタル化して公開・共有することで議論がなりたっていくのではないかと考えた。実際,共同研究をおこなうことで自分で見えなかったことが見えるようになったこともある。

3 板木は何を語ってくれるのか

→板木は近世京都の出版現場の生々しいありさまを語ってくれる

(1)傷 「試し切り」の痕
  • 多くの板木を横からみると文字を掘り出していない部分に多くの傷がある
  • これは途中で使っている刀がきれなくなったときに研ぎ直し,その後に試し切りをした痕
  • この部分は印刷してもでてこないので何もしてもいい場所
  • 板木をみてきて一番感動したのがこの傷。職人の息遣いがきこえてくるよう
  • 板本を見ているだけではわからない
(2)丁の収めかた
  • 一般的に四丁張の板木は彫りが左右天地逆になっている
  • これは仕事の段取りと関係しているようだ
  • 「1・4,2・3」や「1・4,2・5」といった跳び丁もある
(3)分割所有
  • 跳び丁は板木の分轄所有に関係
  • 海賊版や抜け駆け防止のために故意に板木をとばして分割する場合も
(4)反り止め

板木の端につけられている反り止めは時代による変遷がある

  • Aタイプ(填め込み打ち付け式): 板木の端を先端にいくほど細くなるように切断して枠をつくるタイプ。彫り込みを入れた反り止めに板木をはめこみ2か所あるいは3ケ所を釘で打つ。春日版の板木にも釘痕がみられる。
  • Bタイプ(スライド式): 板木の端を凸状に彫って出っ張りをつくり,彫り込みをいれた反り止めにスライドしてはめるタイプ。釘はうたない。後から反り止めをはずすことが可能。このスライド式には凸状の出っ張りと反り止めの彫り込みが均等な幅のもある。Bタイプが多い。
  • Cタイプ(打ち付け式): 板木の端に反り止めを釘でうちつけるだけ。幕末に多い。

→反り止めの変遷表を作成すればAタイプからBタイプへじわじわと変遷していることがわかる。Aタイプでは釘で打ち付ければ板木の再利用が難しいので,再利用を考えたBタイプが登場してきたのではないか?

(5)彫り方

古い時代のものは彫りが深く,新しいものは彫りが浅い。再利用と関係?

(6)入木

入木は彫誤りの修正目的のためと言われることが多いが,むしろその目的の方が少ないのではないか?

讃岐国来光寺の僧固浄編『山家集抄』は漢文で送り仮名や返り点が本文中におびただしく登場する。二丁半で533箇所もあるそれらの部分がことごとく入木であった。このことから本文を先に彫って送り仮名などの小さなパーツは後から入木で埋めたのではないか? 参照:『山家集抄』の入木

しかし漢文全部が送り仮名や返り点を入木にしているかというとそうでもないのでケースとしては少ないかもしれない。今後もまだまだ調査が必要。

また「文字をかける」こともあった。例えば「奥のほそ道」という入木があった場合に文字部分を三分割して「の」と「そ」の部分の文字上で刻んでいる。5cmくらいの入木は薄くどうしても反ってくるので刻む必要があるのだがわざわざ文字の上で区切っている。彫師が必ずしも文字が読めたとは限らないので文字上で区切ることであとで間違わずに入木を埋めるためにそうしたのかもしれない。

いずれも板本をみているだけではわからないことが板木をみることで見えてくる。徹底して合理化・効率化がはかられ,商売としての採算性を重視していたことがうかがえる。

よく近世「出版文化」といわれるが板木をみていると「出版産業」というべきではないか?

2. 語らない板木

1 どのくらいの板木を失ってきたのか 試算

  • 店: 明治元年京都書林仲間『名前帳』に記載 163店→160とする
  • 板木: 『万延元年文政堂蔵版目録』約2700枚+その後買い増し→3000枚とする

→160x3,000=48,000枚

  • 竹苞楼明治七年『板木分配帳』約6000枚

→160x6,000=96,000枚

ex. 鉄眼一切経60,000枚 韓国大蔵経 80,000枚

2 どのように失われてきたのか

(1)再利用
  • 板木はもともと削られる宿命
  • 竹苞楼旧蔵分の板木を確認すると少なくとも二度三度削られている
  • 削る前が何の板木だったかわからなくなる
(2)再利用
  • 別の目的で再利用される場合もある
  • 印章の台木として板木が使われた例(西島光正堂)。京都の判子屋さんは昔は板木を鴨川にかついていって洗うのが日課だったらしい。
  • 板木は非常に上質の桜なので木工の材として再利用(藤井文政堂旧蔵流出経緯 宮田正信博士の遺品の本棚に入木痕がある)
(3)燃料(薪)
  • 竹苞楼『蔵板員数』の書き込みによれば,昭和20年3月に戦争のためやむを得ず燃料として潰したという記録がある
  • 法蔵館西村七兵衛会長の体験談「薪用に板木をわっていた」
  • 昭和19年から昭和21年にかけて大量に燃やさられたと推測される
  • 佛光寺の板木には歴代のご住職が編集したものとは別に町版のものだとおもわれる板木が残存しているがこれも薪用だったのではないか?
  • 佛光寺の板木には反り止めが残っていないものが多く,七輪用などにするにはちょうどよい大きさなので燃やしてしまったのではないか?
(4)白蟻損
  • 竹苞楼『板木分配帳』の書き込みによれば,土間に置いてあった板木の白蟻損が甚だしく大正3年8月に焼却したことがかかれている。
  • 藤井文政堂の流出板木も白蟻損があってもう少しで燃やされそうになった
  • 白蟻がはいるようになったのは板木が刷られなくなってだんだん使わなくなった明治以降ではないか?

3. 今後の課題

  • 奈良大学のとある教員によると,寺町の古本屋さんの床下には板木が山積みだったが現在ではなくなってしまった板木が多い。実感としては手をつけるのが10年遅かった。10年前だと今の2倍集まったのではないか?
  • 10年前は板木がでても誰も買う人がいなくて値段がつかなかったが,最近は板木の値段が高騰している。商品・研究史料としての価値が認識されてきた。これによって燃やされてしまうことが少なくなればそれはそれでよいこと
  • ジャンルを問わずかたっぱしから集めることが重要。メジャーどころの作品の板木かどうかにかかわらず一枚でも多くあつめることが重要。奥のほそ道でも往来者でもおなじ板木である。
  • 目録化してデジタルデータとして残す
  • 展示の機会・触る機会を増やすことが大事。重さは触ってみないとわからない。重さがわかるということは摺り職人の労力がわかってくる。触ると手が真っ黒になるがその墨の付き方を体験するというのも重要。